八甲田山の無言電話は日本軍幽霊の怪奇現象か?その理由を心霊写真や動画で紹介!「何コレ」

テレビ

こんにちは。

今日は、昔から心霊スポットで有名な八甲田山で2014年に起きた無言電話は日本軍幽霊の怪奇現象なの?

また、その理由を心霊写真や動画をまとめた!という話題についてお話していこうと思います。

ちゃんとお話すると悲しい出来事だったので、読んだ方は亡くなられた方へ思いを馳せてくださると良いのかなと思います。

また、2020年7月1日(水)  19時00分~21時00分フジテレビ系「世界の何だコレ!?ミステリーSP【日本で起きた!摩訶フシギな現象SP】」でも放送されます。

それではいってみましょう。

八甲田山の無言電話は日本軍幽霊の怪奇現象?

八甲田山の無言電話は幽霊の怪奇現象?

2014年5月17日青森県内で消防通信指令室に掛ってきた1本の119番通報が謎を呼んでいる。

深夜、119番通報を受けたが応答がなく、ザーザーというノイズ音しか聞こえない

通報者が電話機の前で倒れているのではないか。

消防はそう考えて、かけてきた電話の所在地を調べたところ、八甲田山の別荘地にある家からとわかかり、救急隊員10人が現場に急行した。

救急隊員が到着してみると、家はしっかり戸締りがされ人が入った形跡がない

窓ガラスを割り中へ入って調べたが人気はない

ただ、119番通報の発信元である古いダイヤル式の黒電話を発見した。

指令室は電話を切らず信号音を出し続けておいたため、この黒電話が発信元であることは間違いないのだが、受話器は電話機に置かれたままだった。

つまりオフの状態だ。

※(https://www.j-cast.com/tv/2014/06/19208041.html?p=all)より

このような事態が起き、ネット上では様々な憶測が飛びました。

まとめてみると

1.強風説

別荘の切断寸前の電話線が強風で揺れ、電気が流れたり切れたりして「1」「1」「9」という番号が偶然発信された可能性があることが、NTT東日本青森支店で判明したそうなんです。

こんな流れです。

↓風が①をダイヤル

↓風がまた①をダイヤル

↓風が⑨をダイヤル

「1」がダイヤルされるのは文系の私でもなんとなく理解できますが、

「9」をダイヤルって物理的にできるのか?とちょと理解しがたいですね。

但し、ダイヤル式だと時々このような現象が起こるようです。💦

旧日本陸軍兵の怪奇現象?

若い人は八甲田山と聞いても「スキー場」で有名というイメージがあるかもしれませんが、昭和生まれ・・・昭和生まれでも50年代60年代は知らない人多い思います。

その昔、1902年(明治35年)に起きた、とても悲しい事件の舞台なんですね。

その名も「八甲田雪中行軍遭難事件」です。

その頃、日本は日清戦争終え、その後日露戦争に突入する準備をします。

まず、日本陸軍は寒さに強い軍隊にするために八甲田山における雪中行軍(銃装備などをして長距離を歩く訓練)をしました。

しかし、その訓練の最中に天候が非常に悪く訓練途中に遭難し、参加者210名中199名が死亡するという最悪の結果を招いてしまったのです。

199名にものぼる死者が出た場所。⇒怪奇現象が起こる??

詳しくは下記に記しますね。

何故怪奇現象が起きると言われたのか?

前述のとおり多くの若い兵士が亡くなった八甲田山。

如何に過酷だったのか・・・。

画像をみると当時の兵士の苦しみなどが少し理解できると思います。

2014年作成のドキュメンタリー映画

如何に無謀な計画だったのか?が分かります。

元兵士の「雪の中で死ぬって簡単なんだよな」って言葉がコワイです。

経験したからこそ出る言葉ですよね。

1977年度の映画「八甲田山」  高倉健さんです!

案内役の秋吉久美子さんに向けて「かしら(頭)右!」の敬礼が印象に残ります。

かしら(頭)右!」での敬礼は普通、軍隊や警察・消防等で自分より身分の上の人への敬意をこめて行うものなので、民間人にすることはないのですが、この映画では高倉健さんが元々脚本にない部分をアレンジさされたそうです。

高倉健さんらしさが出ています。

当時、ゴム製の長靴は貴重で一部の将校しか履けず、多くの兵は地下足袋かんじきという粗末な装備でこの大雪の行軍に挑んだそうです。

ですので、参加者210名中199名が死亡するという悲しい結果につながるのも話が分かります。

また、遺体の回収も儘ならなかったという事もあり、現在でも八甲田山には旧日本陸軍若き兵士の供養されていない思いが残っていてもおかしくはありません。

ですので、未だに八甲田山では雪中行軍中に遭難死した「八甲田山死の彷徨」に近く、記念碑があります。

また、記念碑を夜間撮影した写真に複数の正体不明の白い球が浮いていたとか、「兵士が歩いているのを見た」という人が複数いるそうです。

ですので、無言電話の相手は旧日本陸軍の若き兵士からではないのか?という話も出ています。

これが怪奇現象の由縁です。

霊感とかそういうのは無くても、そういう事はあるのではないか?と私は思います。

その理由を心霊写真や動画で紹介!

その理由を心霊写真や動画で紹介!

動画は⇒こちら

同じく、誰もいないはずのところに「サーモグラフィ画像」で解析すると・・・。

人が3人写っています。

誰もいないのに・・・。

百年以上経っても、当時の苦しみがここには残っているのでしょうか?

それだけ苦しい亡くなり方をしたってことです。

八甲田でのエピソード

遭難事件から暫く経った頃、「中隊規模の一群が八甲田方面からやって来る」という噂が聯隊内に広まった。
その噂は津川聯隊長の耳にも届き、意を決した聯隊長は、衛兵の詰所に待機してその出現を待つ事にした。
底冷えする夜、夜明け間近の事、血相を変えて飛んできた衛兵の報告を聞いた聯隊長は営門に急行(ラッパの音に混じって軍歌も聞こえたとの事)、そして今まさに姿を現さんかと思われた時、聯隊長は抜刀し闇に向って叫んだ。

「雪中行軍隊の諸君よ、よっく聞け!
お前達は勇戦奮闘して見事な最期を遂げた!
今や無情雪裡の鬼と化すとも迷ってはならぬ!
お前達の死は無駄ではなかった!
軍装及び厳寒期の戦術には一大改革が施される事になったぞ!
来たるべき戦役に於いて未然に軍の損失を防いだその功績は大きい!
行軍隊員はみな靖國神社に合祀される事になったのだ!
迷うな、心安く眠れ!ここはお前達の来る所ではない!
帝国軍人として見苦しい振る舞いはこの聯隊長が許さんッ!
青森五聯隊の雪中行軍隊、回れ右!前へ進め!」

号令をかけると足音はピタリと止まり、八甲田山に向って静かに遠ざかって行き、以来二度と現れる事は無かったという。

※(https://xn--u9jv84l7ea468b.com/spot/aomori1.html)恐怖の泉 より引用

兵隊には上官からの労をねぎらう言葉が一番だったのかもしれませんね。

しかし、未だに上記のような現象があるという事は成仏できていない兵士の方もいるという事ですね。

他にもある心霊動画

怖がりなので、詳しくは・・・ご確認ください。(笑)

こちらもどうぞ!

八甲田山の怪奇現象のまとめ

今日は、八甲田山の無言電話は日本軍幽霊の怪奇現象か?その理由を心霊写真や動画で紹介!についてお話してきました。

  • 八甲田山の無言電話は日本軍幽霊の怪奇現象か?
  • ⇒無言電話は風のいたずらによる1・1・9ダイヤルの可能性
  • ⇒怪奇現象説は1902年に起きた八甲田雪中行軍遭難事件で命を落とした旧日本陸軍兵士の霊による仕業?
  • ⇒八甲田事件は、その後映画化などで広く知られるようになった
  • ⇒当時の装備はかなり粗末なもので雪の中では簡単に死ねるようなものであった
  • 何故怪奇現象は起きるのか?
  • ⇒事件後遺体収容なども完全ではなく未だに八甲田山に魂・思いが残っているのでそのような現象が起きるのではないか?
  • その理由を心霊写真や動画で紹介!
  • ⇒動画・エピソードが多数存在する

以上、八甲田山の無言電話は日本軍幽霊の怪奇現象か?その理由を心霊写真や動画で紹介!に関するまとめでした。

ありがとうございます。

 

 

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